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この麗しい風景は日本からほほ消えた。この50年の時代の変化は想像を絶する。映像残された方々に感謝申し上げる。
すべてなつかしい「故郷の暮らし」ーー今の時代、見られなくなった、昔の故郷、を、映像で残してくれたことに、感謝しています。
台風のときなど家に早めに帰って雨戸なども閉めて家に静寂が訪れました。その静寂が何とも、心地よかったです。
すべての風景がナチュラルカラー。60年前の日本ってこうだったんですね。きれいな映像をありがとうございました。
どの地方を見ても言える事は、日本人は、働き者で、物を大切にしている。田畑も、家も実用的で、綺麗‼️感慨深い映像でした。
本当に昭和のドキュメンタリーの造りだ。ナレーターの抑揚を控えた語り口。光と影を生かしたカメラワーク。オーケストラのBGM。映像美そのものを感じる。
私がまだ幼稚園児だった頃の映像ですね。僅か60年ほど余りの間に日本の姿がすっかり変わってしまった事に驚かされます。狭い国土にも拘らず当時の日本はそれぞれの地方に実に様々な多様な文化と生活様式が存在していた事が映像から伺えます。今の日本は豊かになりましたが、均一化が進んでどこの地方も同じように見えて寂しいです。
今後、新しい街づくりの映画も用意しています。
均一化・同じように見える、まったく同感です。面白みのない街(世界中)の風景だらけ・・・
日本だけじゃないよ世界が変わった
その頃でしたら 学生は鉛筆削りに肥後守が普通に使われてた時代ですね
@@sugiyandesu1 il reste quelques trésors dans votre pays
フィルムのデジタル起こしはほんと綺麗だよなー。
祖父母の家がまさにこの様な農家でしたが、茅葺はトタンに、土間には床をはり、馬屋は洋室に、梁の見える天井は塞がれ、2階を作り、すっかり見た目は何処にでもある田舎の家になりました。最盛期は13人住んでいたのですが、今では伯父夫婦2人。時代に合わせて変化したと言えばそれまでですが、この半世紀で日本の住環境がここまで変化するとは。
日本全国 似たような、
@@toidayo 様高度成長期以後だね。皆さん豊かに成った。
今の半世紀は昔の200年くらい、あるいはそれ以上の早さで変わります。
当時を思い出し、胸が熱くなりました。日本人で良かった🍀素晴らしい映像、ありがとうございました‼️
昔のあまるべ鉄橋が動画で見られて嬉しかったです。昔の日本家屋も地域によって様々な違いがあり、とても興味が湧きました。映画をアップしてくださりありがとうございました。
観光地化されてない白川郷は貴重だと思います
りんたろう 様白川郷は観光地化されてかなり変わった。高校時代に教師に引率されて白川郷へ行った時、歩道は砂利道、宿泊施設もなく小学校の教室に泊まり、米持参で自炊した。それから30年後〰️我が子を連れて行った時は 土産物店も有り、宿泊施設も有り、歩道は勿論舗装さて、すっかり変わっていた。現在は夜🌃✨ライトアップまでされて観光地化されまくりです。日本人さへ滅多に行かない山間僻地へ海外~の方々が行く時代ですから激変するのは当然です。
日本の農村の美しい風景をよくぞ残してくれた古今の最高傑作ですね。今やこれらの風景は残っていません。ただひとつ庄川の部落を除いて。たった60年前の日本なのですが。何と麗しい時代があった事なのでしょうか。
庄川の川原で遊んだ記憶有り。
不便を便利に、生活を快適にした代償ですね。
6:43 立看板とかでまだ汚されていなかったこういう昔の日本の風景好き
🤗情緒豊かな日本民族🤗感動です🤗
ご婦人達の白い割烹着が良い味出してます。昔のお母さんって感じで。
アップ感謝致します 当家の近所が映っています 子供の頃の風景です さりげなく時間は過ぎてゆきます 40年ほど前から私もビデオ撮りしてます 現在テープからハードディスクにへの作業中です ついでに編集も やりながらテープを見ていると ついつい手が止まってしまいます 懐かしい顔 出来なくなった祭り 廃校になった小中学校の運動会等々撮って置いて良かった思う事しきりです
作品が出来上がったら当館で配信さしてください。
懐かし嬉し美しい映像 カメラワークの品格
素晴らしい映像ありがとうございました
美し過ぎる懐かしく憧れますが、このやうな家に住んでいます
とても58年前の映像とは思えないほどの高画質。
35mmフィルムをHDデジタル化しました。
フィルムはデジタル化するととても綺麗に出るんだよ。カメラのネガのスキャンと多分一緒だと思う。
35mmフィルムの映像はいわゆるハイビジョンよりも高画質だと伺ったことがあります。そんな高画質のフィルムで日本各地の風景を収録されたということで、本当に貴重な映像をありがとうございます…。
@@うめん-t5h ー、ー
@@うめん-t5h く
画質が美しいです。そして映っている当時の生活も美しい。ですが、この映像の中の見えない営みの部分では、現在と違う日本が存在しているとも想像できます。現代とは違い、交通、通信、医療、ガス電気、上下水道のインフラの充実は無く、実に不便であったであろうと。失った物と得た物と、天秤にかけて想像出来る今がある事も、この時代を駆け抜けた人々がいるからこそ。私は幸せ者だなぁ。貴重な映像をありがとうございます。
美しい日本!その古きよき時代...思わず言葉を失ってしまいます...
トンネルを抜けると雪国だった・・・蒸気機関車の旅、懐かしい。トンネル入る前に汽笛が二回鳴るので、急いで窓を閉めましょう!さもないと、煙のすすで窓際に置いたお弁当のゴハンがうっすらと黒くなっちゃいます。別にそれを食べてもお腹を壊すことはないので大丈夫!と言う、のどかな時代でしたが。(遠い目)
窓を閉め忘れて顔が薄黒く成った 😫😣
UPありがとうございます。なんて美しいんでしょう。過ぎ去りし風景切り抜きたくなるような一コマが数多くあります。母方の家は農業を営んでました。蚕も、水田も、藁打ち仕事も、夏涼しく冬暖かい茅葺き屋根、この中に映っている殆どの物が子供のころの想い出になってしまいました。「蚤虱 馬が尿する枕もと」などと吐いた方もいらっしゃいましたね。そんなことはありませんでした。
美しすぎる、民家も村落の風景も。この時代は既に戦後復興が十分に進んだ工業化社会だと思うけど、まだこれほど美しい景観が残っていたとは。同名のタイトルの今和次郎氏の本を読んだことがあるけど、各地の家の形態の違いが本に書いてある通りだ…祖谷にはアレックカーという方が改修された古民家宿泊施設があり、いつか泊まってみたいと考えてます。
土間のある家憧れちゃう
いいですね。
冬寒いんだけど、土から冷えます、夏は涼しいけどね
祖母の家の玄関が土間だった。長年 踏みかためた為か?カチンコチンの土間だつた。入って行くとヒンヤリとした。
三和土(たたき)ですね。土、消石灰、ニガリなどを練り混ぜて叩くとカチンコチンに固まります。コンクリートの代わりみたいなもんですかねぇ。
昭和40年代に、土間でとなりのおばあさんがワラジ作ってたのを思い出しました。当時は既にワラジ履いている人いませんでしたが😊
興味深い映像でした。必要に駆られて変化した家屋の変遷や、手の込んだ藁を利用した屋根の造りなど、当時の人々の智慧の結集。トイレはおそらく外にあり、冬は厳しい寒さで囲炉裏を囲んだのでしょう。映像は主に地方の田舎、農家のものだと思われ、ほんの6、70年前なのに、日本人の生活は考えられないほど変わった。
大は馬屋の横。板を渡し、中心部を四角くくり貫いているヤツ。男性の小は屋外にあるカメの中。
母方の実家に土間がありました。土間上がって部屋があったんですけど、来客用の部屋だったような記憶があります。懐かしい
私が生まれる12年前。幼いころはまだこの様な家が残ってました。馬と最後の食事を取る農家の方々や、雪のトンネルは風情あって胸に来ます。しかしCorvette C2がこの映像の翌年に発売を控えてたのを考えると、やはり相当高価な夢のスポーツカーだったのね。今も価格上がりすぎて超高価だけど…。
ありがとうございます、最高ですね、忘れてたほんとにごめんなさいありがとうございました
懐かしい、、、風景。
これぞ日本風土記実録!
斜面を切り開いて建てた家。長野県の母の実家も同じで 四方八方 山でした。幼少の頃 行ったきりで懐かしく拝見させて頂きました。視界を遮るものもなく 自然の音以外ない、もう戻れない贅沢な空間。
素晴らしいドキュメンタリーですね。コンクリートの箱の中の一生ではない、この生活を、俺は取り戻したい。
これはこれで 生きて行くのは大変だよだから 農村から都会へと出稼ぎに行っていた。
@@peacepaz3959 分かります。私は22歳から都市で仕事をし続けていました。仕事を変える事は、お国から年金がもらえるようになったこの歳まで、考えていませんでした。年金+αならば、なんとか暮らしていけるのではないかと、今収支を計算し、移住計画中なんです。
忘れてた昔の面影を、思い出させていただいて、貴重な映像有り難うございました!🎉😂
このような風景が今あるのだろうか?わずか5〜60年前なのに。
白川郷のみでしょうね
いや50〜60年はかなりの長さだよ。
30年以上は長い
とはおっしゃいますが、この当時の「わずか60年前」って言ったら明治時代ですからねぇ。すごく昔に感じます。
10年を6回繰り返すだけだろ?2024の10年前が2014年だけどあっという間だぜ?10年が6回繰り返したぐらい大したことないわ。
素晴らしいです
感動しました。私は60歳ですが、確かに母の生家はこのような民家でした。小さい頃の記憶では、馬屋はあっても、もう馬はいませんでしたが、鶏や山羊や猫犬、井戸、裏の溜め池、台所やトイレも、小さな家のようなもので、離れや隠れ部屋があって、夏休みに行くのが、楽しみでした。千葉の茂原の農家でした。動画、ありがとうございました。
@ダイジョーブ博士 さん。昔なんですけど、外扉で、母の兄弟の1人が使っていたみたい。窓も無かったような、物置部屋でした。("⌒∇⌒")
すばらしいです。そして、懐かしい。いつも感慨深い映像をありがとうございます。また貴重な映像を楽しみにしています。
昭和と平成、令和がそれぞれ違う時代であることを深く認識します。
ここまで純和風の家は現代ではどんな田舎に行ってもほぼほぼないから私たち日本人が見ても貴重な映像ですね。
いや、あるけど?田舎に行っても、って言うほど田舎にいってないでしょ
一見トタン屋根かと思いきや、その下が藁ぶき屋根だったりする古民家は山間部の田舎でちょくちょく見かけますよ。
無くはないけどかなり減っている
今の現代じゃ、囲炉裏がある家なんて逆に「贅沢」なんだよね(笑)ああ、囲炉裏で焼き魚と晩酌がしたいなぁ😣
今だからこそ生活がよくなって昔とはずいぶかわりました☺️。
今の東京の映像なんかよりこっちの方が断然綺麗!
挿入音とナレーションがthe昭和
不協和音を多用したBGMが恐怖を煽ります。
良く出来てるな~ 最後まで見てしまった
映像の撮られた1962年は、日本固有の文化が活きていた最後の時代かつ現代日本のターニングポイントの年でもありますこの年に策定された第一次全国総合開発計画を元に、日本は圧倒的な工業国家として成長を始めますこの後10年間で3Cの普及、高速道路と新幹線開通、ニュータウン造成といった現代日本の礎が一気に作られる訳です
生活の55年体制1963年体制前旧型道路標識時代
とても宜しいです。日本は変わってよかったのでしょうか?囲炉裏は、うちのは吊るすタイプでしたね~、懐かしい。
素晴らしいです!貴重な映像です。戦前に今和次郎先生が全国の民家の研究をされて、日本の民家という本にその記録を書かれておられますが、いまの時代に再訪してみるとどうなっているのやら。もはや現存すらしていないかもしれませんね…なんとかしてこの映像のような風景を取り戻したいものです。
こんにちは。今和次郎の『日本の民家』の初版に掲載されている民家が今どうなっているかを再訪した研究活動が2011年に本になっています。よければこちらもご覧ください。cominka.jp/cominkabooks0002/しかし本当に貴重な映像のアーカイブと公開をありがとうございます。
@@tomokihonma5348 もう再訪されていたのですね!ありがとうございます。今度読んでみます。
余部鉄橋観たくても観られない素晴らしい映像感動🥰
雪国ではないけれど、子供の頃の田園風景、そこには四季の色があって、友達もいた今では発展のおかげで生活の知恵もあまり必要ではないけれど、土地の自然を受け入れ 制約のない生活空間の中で暮らす どちらが 豊かな社会なのかな 現在とこの時代。
It's amazing to see old houses like this. I want to go to west Japan someday.
日本の農村文化を教えてくれる素晴らしい映像だと思います。当時は、まだ藁ぶき家が多数残っていたんですね。個人的には14:20~のような、モノが少なく質素・簡素・清潔な暮らしを手本にしていきたいです。
サステイナブルで美しく豊かなかつての日本の農村。この映像をみていると大きな喪失感を持ってしまいますが、生活(食事や風呂や農作業)に費やされていた労力は半端なかったとも思います。あと戻りはできないけれどこれらの文化の記憶を大切にし誇りにしていきたいと思います。
このはんせいきでの様変わりは激しい。四国祖谷渓も今は全く違う土地かと思うほど。
美しいな。まるで別の国のようだ。
東京の隣県でも小学生の頃は土間囲炉裏麦わら屋根だったなー、懐かしさ感じるなあ、後セスナ機から広告ばらまき時々あって、それを拾うのが楽しみで、手を振って、ヒラヒラ広告集め遊びみたいなもんだった。
飛行機からビラまき懐かしい😊今やると逮捕されますよね。
小学校までは家も土間にお釜さん、タイルの流しがあってお風呂も薪で炊いてました。風向きによっては煙が家の中に入ってすすだらけになった思い出が、今は土間部分だけリフォームしてます。
ドリフの師匠と弟子のコントでも始まりそうなセットだな
1962年の映像でも築50年とかの家だろうから、明治大正くらいに建てられたのも多そう。当時は水道管や電線管もないし家だけだったもんね
現代のドキュメンタリーとは趣が異なる当時の記録映画。現代のテレビでは過剰なぐらい字幕を付け、ナレーションも役っぽい音声を被せる事が多い。1番に目につく違いは、人物や風景の描くアングルだと思う。田園風景が多い昔は、四季の特徴が明瞭だったので、季節感を出すアングルが決めやすい。今の都会では、季節感が描きにくい。よって、季節を表現するのにも昔のような軒下に吊るされた干し柿や田んぼに見られた稲干しがない。季節の節目が曖昧になっている現代と当時とでは違うアングルで表現しないとならないがいづれにしても季節の空気感が違う。当時は言われる事がなかったが、人の営みが築く衣食住と自然に日本の様式美が映像に見てとれる。この様式美を失った事による日本人の代償は心の飢餓だろうか。
今は都会でなくても、季節感が・・・・・。
文化面でも、機能面でも代を重ねて洗練されてきた素晴らしいものばかりですね。しかし今や、より便利で快適な暮らしができるならそれでいいと、文化を捨てた味気ないデザインになって勿体ないばかり。日本らしい日本が消えないように、白川郷みたく区画丸ごと保存するぐらい本気で遺すべきものだと思います。
幻のような日本の文化の姿をこんな高精細な映像で見れるなんて凄すぎる日本民家園行って想像膨らませるだけだったが、実際そこで動いてる人を見ると濃さが違う最後のあたりのかまくらなんてまともに機能してるの初めて見た
まだ沖縄が本土に変換されてないから鹿児島が最南端なんですね
日本の民家という題名だけど、家のつくりというよりはその家での暮らしぶりや習わし、風土を映し出しているところに家とは生活の場であり人の営みと切っても切れないものであるという意図を感じる。建築史家の伊藤ていじが『日本の民家』という本を出したのが59年の話だけど、その影響もあるのかな。
昔の生活ですよね。
皆元気で暮らしてると良いね😊
このころは鹿児島県が「日本の南の端」だった…
農家はよっぽどのことがないと越せない。何世代にもわたってつもり積もった格差が生まれてくる。生まれた時から家の格差がある。その結果が野菊の墓だ。
地方色豊かな風景、暮らしの違いを見るのが旅の醍醐味なんだけど、現代は"ファスト風土化"が酷いからこの時代に旅をしてみたい。現代と比較すると同じ日本とは思えないな。
むしろ織り機があるのは結構いい農家。つうか今時むしろとか知らん奴多いだろうね
まゆゆいただき 様 村祭りの夜🌃 神社の境内で白黒映画の上映がされた。皆さん むしろ持参で行きました。映画の内容なんかどうでもよくて、子供達だけで夜🌃✨の外出が許された❗️嬉しい日でした。
BGMの一つ一つがオーケストラ!
50年ぐらい前は、こういう家も結構残っていたな どこの家にも土間があったし
60年代なのにこんなに綺麗な映像なのね。白黒かと思ってた。
私の子供の頃は田んぼが有り畑も両親がお米や野菜を作って野菜は市場に売りに私もついて行きました。今よりも貧乏生活やったな心は貧しい事は無かったがね。
1962年ということは、かろうじて記憶がある時代です。
昭和40~50年ぐらいは今の景色とあまり変わりなし。親の話から、実家の目黒だと昭和30年代で大きく様変わりしたようです。昔は都市部と田舎の民家でだいぶ造りが違いますが、その境が無くなったのでしょうね。
i love japan ❤️❤️❤️❤️❤️ japan dai suki ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ the best in the world 🌍 🌍🌍🌍🌍
茅葺と瓦のコラボもあったんだ。屋敷森の先を揃えて切ってあるのに驚愕した。どれだけ手間がかかるやら・・・
過渡期には、瓦葺きでアルミサッシ・・・なんて家もありました。
感動できますねえ(^^)/
江戸時代生も存命の時代
I love it
平成27年の全国の養蚕農家数は368戸で、全国の繭生産量は135t。
昔は不便はあったけどその分助け合いで凌いできたけど現代は便利になった分人とのつながりが少なくなった気がします
Love from india 🗾
1962年ですか・・この10年も前に祖父は銀座でエレベーター付きの洋風マンションに住んでたと考えるとすごい差の激しい時代だったのでしょうね。
この動画に出てくる人の多くは もうこの世に居ないんだね
服を着替えて正座して、ディレクタとカメラの前に緊張しつつ食事をする人々。この10数年後、インベーダーが日本を襲った。良きアナログ時代最後の生活風景。
これでもかと撮影照明をあてられて、かなり戸惑い気味の住民w。
徳島の土柱やかずら橋が出てきて嬉しかった。民家の映像は祖谷山村辺りなのかな?
通学する度にバンジージャンプ気分が味わえるw
祖谷は間違いなし、今も似たような景色です。
邪魔するとハンマーが飛んで来ました。あとゲタもです。よく泣いた😢⤵️⤵️ものです。
The southern end of Japan was Kagoshima then when this film was made; Okinawa had not been returned to Japan until 1972.
滋賀の民家では家の木部に真っ赤なベンガラを塗ります。子供の頃もたれてシャツに色移りして怒られたのを思い出す。
昭和37年の作品で、撮影は前年の36年とおもわれます。当時の九州から東北までの日本各地の伝統的民家と、当地の特産品である藁や竹の製品作り、蚕や馬を飼育する専用部屋、それに雪国の生活などが詳しく記録された貴重な映像です。当時の屋根に、わら葺が多いのに驚きます。60年後の今、映像のような家やそこでの暮らしなどは、残っていないでしょう。
各地に残して欲しかった!
まさしく私が子供のころの生活です相当貧乏でした
半世紀前だと普通に竈で焚き火なんだね。
5連のかまどにはびっくりです。
20:08急な階段を昇るとそこが2階。その床板は確かにスノコ状だった。子供の頃、下が透けて見えるのとギシギシきしむので怖くて歩けなかったw
戦後の光景ですが日本はここから世界2位のGDPをうみだしたとは・・・ 意味わからんww
1:03 タイトルバックの時の音がめっちゃ怖いw
昔の日本の家は掃除がしやすく、かなり理にかなってる。今の家はデザインだけで利便性が終わってる。今の家は狭い部屋が何個もあってキッチンも狭いし掃除がしにくくて窮屈やわ。
障子から入る 木漏れ日 が何とも良い。
図鑑の絵でしか見たことない。
この麗しい風景は日本からほほ消えた。
この50年の時代の変化は想像を絶する。映像残された方々に感謝申し上げる。
すべてなつかしい「故郷の暮らし」ーー今の時代、見られなくなった、昔の故郷、を、映像で残してくれたことに、感謝しています。
台風のときなど
家に早めに帰って雨戸なども閉めて
家に静寂が訪れました。
その静寂が何とも、心地よかったです。
すべての風景がナチュラルカラー。60年前の日本ってこうだったんですね。きれいな映像をありがとうございました。
どの地方を見ても言える事は、日本人は、働き者で、物を大切にしている。田畑も、家も実用的で、綺麗‼️感慨深い映像でした。
本当に昭和のドキュメンタリーの造りだ。ナレーターの抑揚を控えた語り口。光と影を生かしたカメラワーク。オーケストラのBGM。映像美そのものを感じる。
私がまだ幼稚園児だった頃の映像ですね。僅か60年ほど余りの間に日本の姿がすっかり変わってしまった事に驚かされます。狭い国土にも拘らず当時の日本はそれぞれの地方に実に様々な多様な文化と生活様式が存在していた事が映像から伺えます。今の日本は豊かになりましたが、均一化が進んでどこの地方も同じように見えて寂しいです。
今後、新しい街づくりの映画も用意しています。
均一化・同じように見える、まったく同感です。面白みのない街(世界中)の風景だらけ・・・
日本だけじゃないよ
世界が変わった
その頃でしたら 学生は鉛筆削りに肥後守が普通に使われてた時代ですね
@@sugiyandesu1 il reste quelques trésors dans votre pays
フィルムのデジタル起こしはほんと綺麗だよなー。
祖父母の家がまさにこの様な農家でしたが、茅葺はトタンに、土間には床をはり、馬屋は洋室に、梁の見える天井は塞がれ、2階を作り、すっかり見た目は何処にでもある田舎の家になりました。最盛期は13人住んでいたのですが、今では伯父夫婦2人。時代に合わせて変化したと言えばそれまでですが、この半世紀で日本の住環境がここまで変化するとは。
日本全国 似たような、
@@toidayo 様
高度成長期以後だね。
皆さん豊かに成った。
今の半世紀は昔の200年くらい、あるいはそれ以上の早さで変わります。
当時を思い出し、胸が熱くなりました。日本人で良かった🍀
素晴らしい映像、ありがとうございました‼️
昔のあまるべ鉄橋が動画で見られて
嬉しかったです。
昔の日本家屋も地域によって様々な違いがあり、
とても興味が湧きました。
映画をアップしてくださり
ありがとうございました。
観光地化されてない白川郷は貴重だと思います
りんたろう 様
白川郷は観光地化されてかなり変わった。
高校時代に教師に引率されて白川郷へ行った時、歩道は砂利道、宿泊施設もなく小学校の教室に泊まり、米持参で自炊した。
それから30年後〰️我が子を連れて行った時は 土産物店も有り、宿泊施設も有り、歩道は勿論
舗装さて、すっかり変わっていた。現在は夜🌃✨ライトアップまでされて観光地化されまくりです。
日本人さへ滅多に行かない山間僻地へ海外~の方々が行く時代ですから激変するのは当然です。
日本の農村の美しい風景をよくぞ残してくれた古今の最高傑作ですね。
今やこれらの風景は残っていません。
ただひとつ庄川の部落を除いて。
たった60年前の日本なのですが。
何と麗しい時代があった事なのでしょうか。
庄川の川原で遊んだ記憶有り。
不便を便利に、生活を快適にした代償ですね。
6:43 立看板とかでまだ汚されていなかったこういう昔の日本の風景好き
🤗情緒豊かな日本民族🤗感動です🤗
ご婦人達の白い割烹着が良い味出してます。昔のお母さんって感じで。
アップ感謝致します 当家の近所が映っています 子供の頃の風景です さりげなく時間は過ぎてゆきます
40年ほど前から私もビデオ撮りしてます 現在テープからハードディスクにへの作業中です ついでに編集も やりながら
テープを見ていると ついつい手が止まってしまいます 懐かしい顔 出来なくなった祭り 廃校になった小中学校の運動会
等々撮って置いて良かった思う事しきりです
作品が出来上がったら当館で配信さしてください。
懐かし嬉し美しい映像 カメラワークの品格
素晴らしい映像
ありがとうございました
美し過ぎる
懐かしく憧れますが、このやうな家に住んでいます
とても58年前の映像とは思えないほどの高画質。
35mmフィルムをHDデジタル化しました。
フィルムはデジタル化するととても綺麗に出るんだよ。カメラのネガのスキャンと多分一緒だと思う。
35mmフィルムの映像はいわゆるハイビジョンよりも高画質だと伺ったことがあります。
そんな高画質のフィルムで日本各地の風景を収録されたということで、本当に貴重な映像をありがとうございます…。
@@うめん-t5h ー、ー
@@うめん-t5h く
画質が美しいです。
そして映っている当時の生活も美しい。
ですが、この映像の中の見えない営みの部分では、現在と違う日本が存在しているとも想像できます。
現代とは違い、交通、通信、医療、ガス電気、上下水道のインフラの充実は無く、実に不便であったであろうと。
失った物と得た物と、天秤にかけて想像出来る今がある事も、この時代を駆け抜けた人々がいるからこそ。
私は幸せ者だなぁ。
貴重な映像をありがとうございます。
美しい日本!その古きよき時代...思わず言葉を失ってしまいます...
トンネルを抜けると雪国だった・・・蒸気機関車の旅、懐かしい。
トンネル入る前に汽笛が二回鳴るので、急いで窓を閉めましょう!
さもないと、煙のすすで窓際に置いたお弁当のゴハンがうっすらと黒くなっちゃいます。
別にそれを食べてもお腹を壊すことはないので大丈夫!と言う、のどかな時代でしたが。(遠い目)
窓を閉め忘れて顔が薄黒く成った 😫😣
UPありがとうございます。なんて美しいんでしょう。過ぎ去りし風景
切り抜きたくなるような一コマが数多くあります。
母方の家は農業を営んでました。蚕も、水田も、藁打ち仕事も、夏涼しく冬暖かい茅葺き屋根、この中に映っている殆どの物が子供のころの想い出になってしまいました。
「蚤虱 馬が尿する枕もと」などと吐いた方もいらっしゃいましたね。そんなことはありませんでした。
美しすぎる、民家も村落の風景も。
この時代は既に戦後復興が十分に進んだ工業化社会だと思うけど、まだこれほど美しい景観が残っていたとは。
同名のタイトルの今和次郎氏の本を読んだことがあるけど、各地の家の形態の違いが本に書いてある通りだ…
祖谷にはアレックカーという方が改修された古民家宿泊施設があり、いつか泊まってみたいと考えてます。
土間のある家憧れちゃう
いいですね。
冬寒いんだけど、土から冷えます、夏は涼しいけどね
祖母の家の玄関が土間だった。
長年 踏みかためた為か?
カチンコチンの土間だつた。
入って行くとヒンヤリとした。
三和土(たたき)ですね。
土、消石灰、ニガリなどを練り混ぜて
叩くとカチンコチンに固まります。
コンクリートの代わりみたいなもんですかねぇ。
昭和40年代に、土間でとなりのおばあさんがワラジ作ってたのを思い出しました。当時は既にワラジ履いている人いませんでしたが😊
興味深い映像でした。
必要に駆られて変化した家屋の変遷や、手の込んだ藁を利用した屋根の造りなど、当時の人々の智慧の結集。
トイレはおそらく外にあり、冬は厳しい寒さで囲炉裏を囲んだのでしょう。
映像は主に地方の田舎、農家のものだと思われ、ほんの6、70年前なのに、日本人の生活は
考えられないほど変わった。
大は馬屋の横。板を渡し、中心部を四角くくり貫いているヤツ。
男性の小は屋外にあるカメの中。
母方の実家に土間がありました。土間上がって部屋があったんですけど、来客用の部屋だったような記憶があります。懐かしい
私が生まれる12年前。幼いころはまだこの様な家が残ってました。馬と最後の食事を取る農家の方々や、雪のトンネルは風情あって胸に来ます。
しかしCorvette C2がこの映像の翌年に発売を控えてたのを考えると、やはり相当高価な夢のスポーツカーだったのね。
今も価格上がりすぎて超高価だけど…。
ありがとうございます、最高ですね、忘れてたほんとにごめんなさいありがとうございました
懐かしい、、、風景。
これぞ日本風土記実録!
斜面を切り開いて建てた家。
長野県の母の実家も同じで 四方八方 山でした。幼少の頃 行ったきりで懐かしく拝見させて頂きました。
視界を遮るものもなく 自然の音以外ない、もう戻れない贅沢な空間。
素晴らしいドキュメンタリーですね。
コンクリートの箱の中の一生ではない、この生活を、俺は取り戻したい。
これはこれで 生きて行くのは大変だよ
だから 農村から都会へと出稼ぎに行っていた。
@@peacepaz3959 分かります。私は22歳から都市で仕事をし続けていました。仕事を変える事は、お国から年金がもらえるようになったこの歳まで、考えていませんでした。年金+αならば、なんとか暮らしていけるのではないかと、今収支を計算し、移住計画中なんです。
忘れてた昔の面影を、思い出させていただいて、貴重な映像有り難うございました!🎉😂
このような風景が今あるのだろうか?わずか5〜60年前なのに。
白川郷のみでしょうね
いや50〜60年はかなりの長さだよ。
30年以上は長い
とはおっしゃいますが、
この当時の「わずか60年前」って言ったら明治時代ですからねぇ。
すごく昔に感じます。
10年を6回繰り返すだけだろ?2024の10年前が2014年だけどあっという間だぜ?10年が6回繰り返したぐらい大したことないわ。
素晴らしいです
感動しました。私は60歳ですが、確かに母の生家はこのような民家でした。小さい頃の記憶では、馬屋はあっても、もう馬はいませんでしたが、鶏や山羊や猫犬、井戸、裏の溜め池、台所やトイレも、小さな家のようなもので、離れや隠れ部屋があって、夏休みに行くのが、楽しみでした。千葉の茂原の農家でした。動画、ありがとうございました。
@ダイジョーブ博士 さん。昔なんですけど、外扉で、母の兄弟の1人が使っていたみたい。窓も無かったような、物置部屋でした。("⌒∇⌒")
すばらしいです。そして、懐かしい。いつも感慨深い映像をありがとうございます。また貴重な映像を楽しみにしています。
昭和と平成、令和がそれぞれ違う時代であることを深く認識します。
ここまで純和風の家は現代ではどんな田舎に行ってもほぼほぼないから私たち日本人が見ても貴重な映像ですね。
いや、あるけど?
田舎に行っても、って言うほど田舎にいってないでしょ
一見トタン屋根かと思いきや、その下が藁ぶき屋根だったりする古民家は山間部の田舎でちょくちょく見かけますよ。
無くはないけどかなり減っている
今の現代じゃ、囲炉裏がある家なんて逆に「贅沢」なんだよね(笑)ああ、囲炉裏で焼き魚と晩酌がしたいなぁ😣
今だからこそ生活がよくなって昔とはずいぶかわりました☺️。
今の東京の映像なんかよりこっちの方が断然綺麗!
挿入音とナレーションがthe昭和
不協和音を多用したBGMが恐怖を煽ります。
良く出来てるな~ 最後まで見てしまった
映像の撮られた1962年は、日本固有の文化が活きていた最後の時代かつ現代日本のターニングポイントの年でもあります
この年に策定された第一次全国総合開発計画を元に、日本は圧倒的な工業国家として成長を始めます
この後10年間で3Cの普及、高速道路と新幹線開通、ニュータウン造成といった現代日本の礎が一気に作られる訳です
生活の55年体制1963年体制前旧型道路標識時代
とても宜しいです。日本は変わってよかったのでしょうか?
囲炉裏は、うちのは吊るすタイプでしたね~、懐かしい。
素晴らしいです!貴重な映像です。
戦前に今和次郎先生が全国の民家の研究をされて、日本の民家という本にその記録を書かれておられますが、いまの時代に再訪してみるとどうなっているのやら。もはや現存すらしていないかもしれませんね…
なんとかしてこの映像のような風景を取り戻したいものです。
こんにちは。
今和次郎の『日本の民家』の初版に掲載されている民家が今どうなっているかを再訪した研究活動が2011年に本になっています。よければこちらもご覧ください。
cominka.jp/cominkabooks0002/
しかし本当に貴重な映像のアーカイブと公開をありがとうございます。
@@tomokihonma5348 もう再訪されていたのですね!ありがとうございます。今度読んでみます。
余部鉄橋観たくても観られない素晴らしい映像
感動🥰
雪国ではないけれど、子供の頃の田園風景、そこには四季の色があって、友達もいた
今では発展のおかげで生活の知恵もあまり必要ではないけれど、土地の自然を受け入れ
制約のない生活空間の中で暮らす どちらが 豊かな社会なのかな 現在とこの時代。
It's amazing to see old houses like this. I want to go to west Japan someday.
日本の農村文化を教えてくれる素晴らしい映像だと思います。当時は、まだ藁ぶき家が多数残っていたんですね。
個人的には14:20~のような、モノが少なく質素・簡素・清潔な暮らしを手本にしていきたいです。
サステイナブルで美しく豊かなかつての日本の農村。この映像をみていると大きな喪失感を持ってしまいますが、生活(食事や風呂や農作業)に費やされていた労力は半端なかったとも思います。あと戻りはできないけれどこれらの文化の記憶を大切にし誇りにしていきたいと思います。
このはんせいきでの様変わりは激しい。四国祖谷渓も今は全く違う土地かと思うほど。
美しいな。
まるで別の国のようだ。
東京の隣県でも小学生の頃は土間囲炉裏麦わら屋根だったなー、懐かしさ感じるなあ、後セスナ機から広告ばらまき時々あって、それを拾うのが楽しみで、手を振って、ヒラヒラ広告集め遊びみたいなもんだった。
飛行機からビラまき懐かしい😊
今やると逮捕されますよね。
小学校までは家も土間にお釜さん、タイルの流しがあってお風呂も薪で炊いてました。風向きによっては煙が家の中に入ってすすだらけになった思い出が、今は土間部分だけリフォームしてます。
ドリフの師匠と弟子のコントでも始まりそうなセットだな
1962年の映像でも築50年とかの家だろうから、明治大正くらいに建てられたのも多そう。当時は水道管や電線管もないし家だけだったもんね
現代のドキュメンタリーとは趣が異なる当時の記録映画。現代のテレビでは過剰なぐらい字幕を付け、ナレーションも役っぽい音声を被せる事が多い。1番に目につく違いは、人物や風景の描くアングルだと思う。田園風景が多い昔は、四季の特徴が明瞭だったので、季節感を出すアングルが決めやすい。今の都会では、季節感が描きにくい。よって、季節を表現するのにも昔のような軒下に吊るされた干し柿や田んぼに見られた稲干しがない。季節の節目が曖昧になっている現代と当時とでは違うアングルで表現しないとならないがいづれにしても季節の空気感が違う。当時は言われる事がなかったが、人の営みが築く衣食住と自然に日本の様式美が映像に見てとれる。この様式美を失った事による日本人の代償は心の飢餓だろうか。
今は都会でなくても、季節感が・・・・・。
文化面でも、機能面でも代を重ねて洗練されてきた素晴らしいものばかりですね。
しかし今や、より便利で快適な暮らしができるならそれでいいと、文化を捨てた味気ないデザインになって勿体ないばかり。
日本らしい日本が消えないように、白川郷みたく区画丸ごと保存するぐらい本気で遺すべきものだと思います。
幻のような日本の文化の姿をこんな高精細な映像で見れるなんて凄すぎる
日本民家園行って想像膨らませるだけだったが、実際そこで動いてる人を見ると濃さが違う
最後のあたりのかまくらなんてまともに機能してるの初めて見た
まだ沖縄が本土に変換されてないから鹿児島が最南端なんですね
日本の民家という題名だけど、家のつくりというよりはその家での暮らしぶりや習わし、風土を映し出しているところに家とは生活の場であり人の営みと切っても切れないものであるという意図を感じる。建築史家の伊藤ていじが『日本の民家』という本を出したのが59年の話だけど、その影響もあるのかな。
昔の生活ですよね。
皆元気で暮らしてると良いね😊
このころは鹿児島県が「日本の南の端」だった…
農家はよっぽどのことがないと越せない。何世代にもわたってつもり積もった格差が生まれてくる。生まれた時から家の格差がある。その結果が野菊の墓だ。
地方色豊かな風景、暮らしの違いを見るのが旅の醍醐味なんだけど、
現代は"ファスト風土化"が酷いからこの時代に旅をしてみたい。
現代と比較すると同じ日本とは思えないな。
むしろ織り機があるのは結構いい農家。つうか今時むしろとか知らん奴多いだろうね
まゆゆいただき 様
村祭りの夜🌃 神社の境内で白黒映画の上映がされた。
皆さん むしろ持参で行きました。映画の内容なんかどうでもよくて、子供達だけで夜🌃✨の外出が許された❗️嬉しい日でした。
BGMの一つ一つがオーケストラ!
50年ぐらい前は、こういう家も結構残っていたな どこの家にも土間があったし
60年代なのにこんなに綺麗な映像なのね。白黒かと思ってた。
私の子供の頃は田んぼが有り畑も
両親がお米や野菜を作って野菜は市場に売りに私もついて行きました。
今よりも貧乏生活やったな
心は貧しい事は無かったがね。
1962年ということは、かろうじて記憶がある時代です。
昭和40~50年ぐらいは今の景色とあまり変わりなし。
親の話から、実家の目黒だと昭和30年代で大きく様変わりしたようです。
昔は都市部と田舎の民家でだいぶ造りが違いますが、その境が無くなったのでしょうね。
i love japan ❤️❤️❤️❤️❤️ japan dai suki ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ the best in the world 🌍 🌍🌍🌍🌍
茅葺と瓦のコラボもあったんだ。
屋敷森の先を揃えて切ってあるのに驚愕した。どれだけ手間がかかるやら・・・
過渡期には、瓦葺きでアルミサッシ・・・なんて家もありました。
感動できますねえ(^^)/
江戸時代生も存命の時代
I love it
平成27年の全国の養蚕農家数は368戸で、全国の繭生産量は135t。
昔は不便はあったけどその分助け合いで凌いできたけど現代は便利になった分人とのつながりが少なくなった気がします
Love from india 🗾
1962年ですか・・この10年も前に祖父は銀座でエレベーター付きの洋風マンションに住んでたと考えるとすごい差の激しい時代だったのでしょうね。
この動画に出てくる人の多くは もうこの世に居ないんだね
服を着替えて正座して、ディレクタとカメラの前に緊張しつつ食事をする人々。
この10数年後、インベーダーが日本を襲った。良きアナログ時代最後の生活風景。
これでもかと撮影照明をあてられて、かなり戸惑い気味の住民w。
徳島の土柱やかずら橋が出てきて嬉しかった。民家の映像は祖谷山村辺りなのかな?
通学する度にバンジージャンプ気分が味わえるw
祖谷は間違いなし、今も似たような景色です。
邪魔するとハンマーが飛んで来ました。あとゲタもです。よく泣いた😢⤵️⤵️ものです。
The southern end of Japan was Kagoshima then when this film was made; Okinawa had not been returned to Japan until 1972.
滋賀の民家では家の木部に真っ赤なベンガラを塗ります。子供の頃もたれてシャツに色移りして怒られたのを思い出す。
昭和37年の作品で、撮影は前年の36年とおもわれます。当時の九州から東北までの日本各地の伝統的民家と、当地の特産品である藁や竹の製品作り、蚕や馬を飼育する専用部屋、それに雪国の生活などが詳しく記録された貴重な映像です。当時の屋根に、わら葺が多いのに驚きます。60年後の今、映像のような家やそこでの暮らしなどは、残っていないでしょう。
各地に残して欲しかった!
まさしく私が子供のころの生活です
相当貧乏でした
半世紀前だと普通に竈で焚き火なんだね。
5連のかまどにはびっくりです。
20:08
急な階段を昇るとそこが2階。その床板は確かにスノコ状だった。
子供の頃、下が透けて見えるのとギシギシきしむので怖くて歩けなかったw
戦後の光景ですが日本はここから世界2位のGDPをうみだしたとは・・・ 意味わからんww
1:03 タイトルバックの時の音がめっちゃ怖いw
昔の日本の家は掃除がしやすく、かなり理にかなってる。今の家はデザインだけで利便性が終わってる。今の家は狭い部屋が何個もあってキッチンも狭いし掃除がしにくくて窮屈やわ。
障子から入る 木漏れ日 が何とも良い。
図鑑の絵でしか見たことない。